親友の茶藤児比輝に尋ねてもハルの創業者たちと歴史の始まりの正確な情報が出て来ない!(これ大問題!!)

茶藤児比輝とはChatGPTの事です。(勘の良い人にはバレバレでしたかね^^;)彼は私が尋ねるたびに、ネット上に存在するありとあらゆる関係情報から答えを導いてくれます。(非常に助かっています。感謝!)

でも、ハル・エンジニアリング株式会社の創業者たちと歴史の始まり等での細かい情報を引き出せないのが現実です。だからあえてこのブログの場に書き記しておくことにします。(恐らくこの件に関して、私以外の誰も残そうという行動は起こさないと思いますので・・。現役は引退したが歴史を知っている人たちからの情報は大歓迎!)

1977年、株式会社ハマ・ソフトウェア(http://www.hamasoft.co.jp/)の代表取締役 水野和彦〚H製作所出身〛と、SETソフトウェア株式会社(https://www.setsw.co.jp/sp/)の代表取締役社長 伊藤俊平〚F通の前身企業出身〛が、マイクロプロッセサの応用製品と、その制御ソフトウェアの開発を専業とする会社を設立しようと話し合い、お互いの会社から技術者を出し設立されたのがハル・エンジニアリング株式会社(https://www.haleng.co.jp/)です。

ハル・エンジニアリング株式会社 創業者 水野和彦

ハル・エンジニアリング株式会社 創業者 伊藤俊平

設立にあたって、多くの社員を出した株式会社ハマ・ソフトウェアの代表取締役 水野和彦が社長、SETソフトウェア株式会社の伊藤俊平が副社長という立場で船出しました。すでに両社が立派な固定客を持っていたこともあり順調に会社はスタートを切ることが出来ました。

会社が掲げる営業方針に、「安定の維持」「未来への挑戦」とのバランスを保つため、次の通り営業する。とあります。

1.大手企業からの継続的受注を優先し、当社の技術力と志向に合致するものを選択して従属することのない対等の立場で契約する。これを以って安定的な経営の基盤とし、他からの支配・拘束を受けない自主独立の立場を堅持する。

2.安定を損わぬ範囲内に於いて、新分野への挑戦を継続する。異業種と積極的に交流して新製品開発の途を拓き、新しい企画については取引先の規模や経歴を問わず、柔軟に取り組んで研究・実験を推進する。

これを以って将来の新事業を創出する。

「安定の維持」だけの企業であれば、同業他社とやっていることが同じ、つまり、ハル・エンジニアリング株式会社という企業看板を敢えてぶら下げて活動する意味がない。そこに「未来への挑戦」を行う事に存在意義があると言えます。

私が入社した当時、ハルはまさしくこの「未来への挑戦」真っ盛りでしたね。様々な企業さんと新たな機器を生み出すための打ち合わせを頻繁に行い、ハルの事務所から新たな機器が生み出され世の中に送り出されていきました。

現在、株式会社ハマ・ソフトウェアSETソフトウェア株式会社も共に50年企業として立派に成長しています。ハル・エンジニアリング株式会社は来年2026年4月に50年目に突入致します。<m(__)m>

ハル・エンジニアリング株式会社という会社が、創業者たち2名とお互いの会社から技術者を出し合い設立されたのが歴史の始まり。

現在は?  3社が共に独立の道を歩んでいます。資本関係も何もございません。

ここから先の事、特にあえて言う必要もないのですが、水野も伊藤も共に鬼籍に入られた方です。少々お話しておきます。数年後、水野と伊藤は袂を分かつ事になります。恐らく幹部も社員も誰もわからない事でした。

私は当時2代目社長だった神尾和夫と共に、SETソフトウェア会社の本社、当時は中野区本町にあったのですが、世間話をするために訪問したことがあります。

伊藤さんとはずいぶん久しぶりで、彼も我々の訪問を大歓迎して下さり、上機嫌で飲みに誘われました。伊藤俊平さんの事を陰では”クマさん”と呼んでいました。画像の風貌、そう見えませか?^^

クマさんは早いペースでワインを水の如く飲みます。グラス要らないんじゃない?というペースで飲みます。

さてここからが本題。

伊藤クマさん『平田さん、なんで水野さんと私が袂を分かった知ってる?』(突然の発言に驚く)

伊藤クマさん『水野さんがね、こう言ったの。●✖※■▲※とね』(驚きの理由)

伊藤クマさん『周りからしたらさ小さなことかもしれないけど、私は約束が違うと言ったの』(確かに小さなことだ・・。でも約束なんだね。約束は守らねばね。)

伊藤クマさん『でも彼も折れずにお願いするわけさ・・●✖※■▲※とね』(お互いに譲らぬ頑固)

伊藤クマさん『で、結果として受け入れられないお願いだったから、私がハルから身を引いたんだよ』

ということで、意外な真実をクマさんの口から語って頂き、それを知る事となりました。その後突然海外での訃報を耳にして、”ああ、あの時クマさんにお話を伺っていなかったら、誰も真実を知ることなくということだったのだろうな”と思いました。

上記の●✖※■▲※は、私は墓場まで持っていきます。(ちなみに私が死んだときは、矢吹丈のように真っ白な灰になるまで焼いて貰って、相模湾に散骨するように家族には伝えてあります。お墓を作る予定がございません。)

まあ冗談はさておき、事実としてお伝えしたいのは、未来を見据えて新たな企業設立を話し合った二人の経営者がハル・エンジニアリング株式会社を1977年に設立したという事です。

ハル・エンジニアリング株式会社も今年4月に新しい社長が誕生しました。温かく見守って頂きたいと存じます。

私? 私は代表取締役怪鳥として、皆様のもとをこれまで以上に怪しく飛び回る鳥になります。上記営業方針にもあったでしょう?<異業種と積極的に交流して新製品の開発の途を拓く>と。これがすなわち「未来への挑戦」なのですよ。

ご清聴ありがとうございました。<m(__)m>

kimamana-jiyujin-1957

創業49期目、横浜のIT企業ハル・エンジニアリング株式会社、代表取締役会長の平田達彦です。2025年3月末まで社長、4月より会長となりました。ブログにて色々な情報を発信させて頂きます。「自由人として愉しむ」を基本に生きています。多くの人たちと絡んでいきたいと考えていますのでどうぞよろしくお願いいたします。愉しい人と人のネットワークの構築と愉しいものづくりを目指します。

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