まぼろしの漫画家「山正たつひこ」
サブタイトル『「山上でも山止でもなく山正!? 幻のギャグ漫画家誕生未遂事件」』
時は1976年の春――私は大学入学を口実に、ついに東京へ飛び出した。
でも正直、大学なんてどうでもよかった。
ただただ「東京に行きたい」。理由なんてそれだけ。
欲しいモノ、刺激、チャンス、夢。すべてが東京にあると思い込んでいた。(都会にあこがれを持つ典型的な田舎者青年?ボソッ)
(ま、最終的に落ち着いたのは東京じゃなくて湘南なんだけどね。電車で1時間くらいで東京に出られるし、どこか故郷宮崎の雰囲気にも似てて、居心地が良かったんだよね。)
そして、上京早々に私の心をぶち抜いた一人の男がいた。
その名も――秋本治!
あの『こち亀』の。ギャグ漫画界のレジェンド。そう、大・天・才。
当時、彼が「山止たつひこ」名義でジャンプの漫画賞を受賞したのを偶然目にしてしまった。
ん? 山止たつひこ?? あれ・・・
どこかで聞いたような名前じゃない?
そうだ! 私の敬愛する『がきデカ』の作者、山上たつひこ先生に似てる!
ってか、ペンネームもじってるし!(読者への受け狙い?もじったよな)
ここで気づいてしまった。
私は「平田達彦」。・・・ああ、たつひこ仲間じゃん!!!(勝手に親近感MAX)
しかも、このレベルの絵で賞金ガッポリ!?
よっしゃーーー! ”オレもやっちゃる!!!”
・・・と、気がついたらペンを握ってた。
(完全にテンション先行型)
でもね、甘くなかった。
鉛筆の下描きまでは良かったんだけど、ペン入れすると途端に雑コラ風。
だって、Gペンの使い方すら知らなかったんだもん。
それでも勢いで原稿を描き上げ、締切ギリギリに編集部へ突撃。
集英社のビルに息を切らせながら、「赤塚賞の応募原稿持ってきましたーっ!」
編集者のお兄さんに言われた一言――
「そこ置いといて~」
(夢、雑に預けられる)アウトオブ眼中!だぞ。初のリングイン失敗だ!^^;
で、ふと目にした編集者の写植作業中の本物の漫画原稿。
”・・・う、上手いっ!!!”
あまりの衝撃に思わず声が出た私に、編集者がニヤリ。
「キミも“漫画家って意外と下手だな”って思ってた口でしょ?」
はい。思ってました・・・スミマセン(コクリ)
そこから彼が教えてくれた、印刷の劣化とか紙質の話――
「生原稿ってこんなにも美しいんだ!」(俺の原稿とすり替えるか・・)
東京駅までの帰り道。拳を握りしめ、ひとりつぶやいた。
「・・・やっちゃる・・・!」
(このとき、まさにスイッチが入ってしまった)
(近年も息子によく言う言葉。”お前って本当に単純だよね!”そう確実に息子も私のDNAを引き継いでいる)
その後、週刊少年ジャンプと週刊少年マガジンに的を絞って持ち込み地獄がスタート。
会議室でボコボコにされること多数。
けどめげずに通った。絵も構図も徐々にマシになっていった。
週刊少年マガジンでは「Y沢さん」という編集者が私の担当に。
ある日、自信満々で原稿を持ち込んだとき、彼がこう言った。
「いい出来だね。賞に応募してみる? 佳作くらいは取れると思うよ」
・・・(佳作? ここまで来てまだ佳作レベルかよ??)
そして、ダメ押しの一言が飛ぶ。
「生活も大変だろうから・・・もし良かったら、僕の給料から少し援助してもいいよ」
ブチッ!!!(糸が切れる音)
いやいやいやいやいや!!
編集者の給料に手をつけてまで漫画描く!? ムリムリムリィィィ!!
この瞬間、夢はポキっと折れました。(かなりの複雑骨折!)
己の実力を、静かに悟ったのです。
もし奇跡的に連載しても、きっと短命に終わる・・・。俺の実力は所詮この程度なんだ・・・。
そして私は、Y沢さんに何も告げず、そっと漫画の世界を去りました。(ごめんなちゃい・・)
あの「山上たつひこ」→「山止たつひこ」→
目指すは「山正たつひこ」(=私)という計画は、あえなく消滅。
(みなさま、”上”から一本増え”止”さらにもう一本増え”正”ということはご理解頂いてます?つまりそういうことですよ。あははは・・・)
こうして、幻の大大天才ギャグ漫画家「山正たつひこ」は
誕生することなく散っていったのでした。(勝手にほざいてろいっ!てか?)
でも人生って面白いもので、
そのあと私は“漫画原作者”としてこの世界に舞い戻ることになるのです――
(ただ逃げ出した週刊少年マガジンの編集部には足を運べず、一応週刊少年ジャンプ、週刊少年サンデー、少年コミック(旧週刊少年キング)には掲載されることになったのです。あっ、週刊少年チャンピオンにも行ってなかったな・・ボソッ)
それに関してはブログネタに困ったときのお楽しみということで。