吹雪の朝方にバトンタッチされた命

——2月2日という日について——

今日から2月。
そして明日、2月2日は息子の誕生日だ。
同時に、亡き父親の誕生日でもある。

父は私が20歳の時、50歳で亡くなった。
そして私は68歳、息子は明日で32歳になる。
数字を並べると、時間というものが
一直線ではなく、どこかで折り返しながら
手渡されていくものだと実感する。

32年前、妻は切迫早産の危険があり、
実家のある青森県三沢市に戻り入院した。
航空自衛隊三沢基地のある土地柄、
その病院には米軍関係の奥様方も多く、
半分以上が外国人という、少し不思議な産婦人科だった。

病室は広く、家族も泊まれる。
食事も家族分が三食用意される。
今思えば、あれは米国スタイルだったのだろう。

私は羽田から三沢へ、航空券の回数券を使い
毎週末通っていた。
今ほど便利な時代でもなく、
「会いに行く」以外に選択肢はなかった。

いよいよ生まれるかもしれない、
そう言われた2月1日の夜。
病室の窓から外を見ると、吹雪いていた。

太平洋側の三沢で吹雪。
南国生まれの私にとって、
人生で初めて見る吹雪だった。

2月2日の午前3時台、
息子は無事に生まれた。

嬉しかった。
それだけは、はっきり覚えている。

翌朝、出生届を出しに外へ出ると、
一面の銀世界だった。
雪に反射した太陽の光があまりに眩しく、
目を開けて歩くのがつらい。

足元は平坦ではなく、
一歩進むたびにズボッ、ズボッと雪に沈む。
「こわっ!」と思いながら、
とにかく郵便局まで歩いた。

南国育ちの男が、
吹雪明けの雪道を恐る恐る歩き、
出生届を送った。

それが、父親としての最初の仕事だった。

あれから32年。
(お腹の中にいた時間を含めれば、
もう33年近い付き合いになる)

私の両親は仕事人間で、
学校行事では寂しい思いもした。
だから私は、妻と一緒に
できるだけ学校行事に参加した。
息子と娘が高校生の頃には、
妻とバトンタッチして役員もやった。

良い親だったかどうかは、正直わからない。
それを決めるのは、子どもたち自身だからだ。

ただ、結婚し、親になったことで、
その後の人生で
自分という人間が確実に変わった。
会社での人との付き合い方も変わった。

それだけは、はっきり言える。

あと何年、親子の付き合いができるかはわからない。
でも、父親からバトンタッチされ、
私たち夫婦のもとに来てくれた息子。
そのあとに生まれた娘。

出来の悪い父親だけれど、
今しばらくは、
この「付き合い」を続けさせてもらおうと思う。

吹雪の夜から始まったご縁だから、
たぶん、もう少し粘り強い。

kimamana-jiyujin-1957

創業49期目、横浜のIT企業ハル・エンジニアリング株式会社、代表取締役会長の平田達彦です。2025年3月末まで社長、4月より会長となりました。ブログにて色々な情報を発信させて頂きます。「自由人として愉しむ」を基本に生きています。多くの人たちと絡んでいきたいと考えていますのでどうぞよろしくお願いいたします。愉しい人と人のネットワークの構築と愉しいものづくりを目指します。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です