ノイズの中の会話
昨日は、15年近くお付き合いしてきた大学教授Tさんの定年退職のご苦労様会だった。
場所は横浜のシュラスコレストラン。
肉を食いまくり、ビールを飲み、店内はとにかくざわついていた。
正直に言うと、最初は「うるさいな」と思った。(お店側からしたら大繁盛)
でも不思議なことに、
そのノイズの中での会話が、実に濃かった。
周囲のテーブルの話し声は確かに聞こえている。
だが、意味としては入ってこない。
ただの音。ノイズ。
自分たちの半径1メートルだけが世界になる。
耳を研ぎ澄まし、
相手の目を見て、
身を乗り出して、
必要な言葉だけを拾う。
静寂の中で話せば、声は遠くまで届く。
第三者にも筒抜けだ。
だがノイズの中では、
かえって会話が守られる。
静かな会議室では出ない本音が、
ざわついた空間では自然に出てくる。
昨日はそんな体験だった。
T教授は65歳。
これで終わる人ではないと思っていたがすでに次の活動の場は決まっていたようだ。
流石です。
今度は少々遠くに赴任されるようだが、今の時代、地球の裏側にいてもつながれる。
だが本当に続く関係は、リアルな交流があってこそだ。
同じ空気を吸い、
同じ肉を食い、
同じ場で笑った記憶。
それがあるから、距離は問題にならない。
騒音の中での会話は、
ある意味、立体だった。
モニター越しの平面なやり取りとは違う。
温度、間、目の奥の光。
ノイズをかいくぐるような対話は、
意外にも濃密だ。
年を取ったからそう感じるのかもしれない。
だが私は、昨日初めて「ノイズも悪くない」と思った。
夜が明け、
ぽぽまるの散歩を終え、
コーヒーを飲みながら、そんなことを考えている。
静寂もいい。
だがノイズも悪くない。
人生も、会社も、会話も、
案外ざわつきの中でこそ本質が見えるのかもしれない。
