何ゆえに漫画の世界に舞い戻ったか???


梅雨が明け、夏が全力疾走でやって来ました。
蝉が鳴き、空は青く、あのギラついた太陽の下、私は毎年この時期になると必ず思い出すんです──

『夏は海だヨ‼』

・・・ってタイトル、どうなんそれ!?って思った方、正解です。
何を隠そう、これは私の漫画原作者デビュー作。
しかもタイトルは・・編集部のセンス爆発。いや、勝手に変えられたのよ・・ほんとに(ボソッ)

なぜ私が一度捨てたはずの“漫画の世界”に、ふたたび足を踏み入れることになったのか。
理由は、めちゃくちゃ単純で、めちゃくちゃ劇的なんです。

ある冬の日。
風邪をこじらせて、39度を超える高熱にうなされながら、
こたつの中で布団にくるまって・・ふと、こんなことを思ったんです。

「このまま一人で死んだら、自分という人間が生きていた証って、何にも残らないな・・」

大学入学で上京し、その後就職しての一人暮らしの自分。
寒い部屋で、静かに朦朧とする意識の中・・“人生の証”って何だ?と考え始めたら、
いてもたってもいられなくなって、私はこたつからガバッと起き上がったんです。

「そうだ、漫画だ!」
「いや・・絵は描けない、でも文章は書ける・・原作なら書ける!!」(高熱の方がアタマがサエッサエでキレッキレ!)

その瞬間から、私の身体は完全に“覚醒モード”へ。
40度近い熱にうなされながらも、朝まで一睡もせず、
原稿用紙に手書きで物語を書き上げました。
それが──主人公が難攻不落の山・K2に挑む物語だったんです。

完成した原作を、熱も引かぬうちに小学館・週刊少年サンデー編集部へ即日発送。
そして、わずか一週間後──編集部から電話が鳴りました。

「君に会いたい」と。

うぉぉぉぉおお!?
一発目で反応来たーーーーっ!!

舞い上がりながら出版社を訪ねた私は、編集者・M上さんと出会いました。(ここから長い付き合い)
話を聞くと、「ストーリーを書ける人を探していた」とのこと。
画力に長けた若手漫画家は多いけれど、物語を創れる人材が圧倒的に不足していたのだと。

結果として、私の“高熱K2原作”不採用となったけれど、そこからすべてが始まったんです。

その日から私は、昼はソフトウェア技術者、夜は漫画原作者という二重生活に突入。
帰宅後は寝る間を惜しんで原作を書き続けました。

そして──ある若手漫画家が私の原作に惚れ込み、組むことに。
結果、週刊少年サンデーで3週連続の短期連載デビューを果たしました。

自分でも信じられないスピードでした。
でも、あの日の高熱が、すべての始まりだったんです。

デビュー作の舞台は、私の愛する「湘南」
この真夏の季節にピッタリな内容で、海、太陽、青春、そしてちょっとだけ切なさもある…

タイトルは、そう──『夏は海だヨ‼』

(くどいけど、もう一度言わせてくれ。このダサいタイトルは編集者が勝手に変えやがったんだよ!笑)

今思えば──ほんの小さな熱が、私の心の奥に眠っていた“夢の火種”を再燃させたんです。
あの夜、こたつで震えていた自分に、いま伝えたい。

「おい、死ぬな。お前、これから漫画原作者としてデビューするんだぞ。」

人はいつでも、自分の人生を変えられる。
どんな状況でも、どんなに熱があっても(物理的にも精神的にも!)、
“書くこと”“伝えること”があれば、道は開ける。(ちょっと何言ってるか分からない⁉サンドイッチマン風)

そして今、この猛暑の中──
ふたたび私は思い出すんです。
湘南の海と、こたつの中の原稿用紙と、人生最大の高熱の夜を。

kimamana-jiyujin-1957

創業49期目、横浜のIT企業ハル・エンジニアリング株式会社、代表取締役会長の平田達彦です。2025年3月末まで社長、4月より会長となりました。ブログにて色々な情報を発信させて頂きます。「自由人として愉しむ」を基本に生きています。多くの人たちと絡んでいきたいと考えていますのでどうぞよろしくお願いいたします。愉しい人と人のネットワークの構築と愉しいものづくりを目指します。

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