久々に聞いた「国立国会図書館」というフレーズ。

1986年の思い出と、あの“変態”スーパープログラマーの話
1986年10月号のCQ出版社発行の雑誌『インターフェース』に、かつて自分たちが開発した機材の広告が掲載されていたようだ。製品を作っていたことはもちろん覚えているが、「広告を出してたんだ?」という軽い驚きとともに、なんだか懐かしさが込み上げてきた。
当時、我々が仕事で使っていたパソコンといえば、NECのPC-9801シリーズや、富士通のFM-11あたりがメイン。趣味レベルならFM-7やFM-8なんてのもあった。今では考えられないけれど、それまでは数百万円もする業務用の開発マシンを導入し、何人もの技術者でスケジュールを組みながら共用していた時代。そこに現れた”手頃な価格”のパソコンたちは、まさに救世主のような存在だった。
さて、そんな思い出を引きずり出すきっかけとなったのが、社内資料の中に見つけた昔の開発ボードの記事。これを見て、「あの雑誌、久々にちゃんと見てみたいな」と思ったのだけれど、当然ながら社内に在庫があるわけもなく・・・。となれば、頼みの綱は「国立国会図書館」である。(自社所有のデジタル版は2001年以降だった。残念!)
実は、私が本当に読みたいのは、その雑誌に掲載されていた“ある特集記事”だ。当時、我が社に在籍していたスーパープログラマー・Y本さんが、自作の開発言語を紹介した特集記事である。(改めて記事を探し出すことが出来たらブログでご紹介しましょう。掲載されたのは事実なので。)
Y本さんは、8080/8085系(インテル)、68000系(モトローラ)、Z-80系(ザイログ)といった当時主流だった複数のCPUに対応する独自言語を作り上げてしまった人物。いやもう、開発言語を一から作るという時点で充分に凄いのだが、真骨頂はその”使い方”にあった。
彼の家に遊びに行くと、まずは飲み会が始まる。みんながほろ酔いになって、「そろそろ寝ようか・・」というタイミングになると、なぜか彼だけが元気になる。
そこからが”変態スーパープログラマー・Y本”の真の姿の登場である。
「よし、今からが本番だ!」とばかりに、自作の開発言語を使って複数のマシンでデモを始めるのだ。Z-80でも、68000でも、似たような挙動を実現し、どれだけ自分の言語が”汎用的かつ優れているか”を酔っ払い相手に延々プレゼンしてくる。
こっちはもう眠いし、酔ってるし・・なのに、本人はまるで少年のように目をキラキラさせている。
この”変態(←最大級の賛辞)”スーパープログラマーの功績を、もう一度ちゃんと見たい。
そんなわけで近々、「国立国会図書館へ行ってみようの旅」を決行しようと考えている。たしかあの特集記事は、何ページにもわたって掲載されていた記憶がある。しかも堂々と「ハル・エンジニアリング株式会社のY本さん開発」として。
あれから40年近く経った今でも、あの夜の”酔ってからが本番”な彼の姿が、やけに鮮明に思い出される。