「お盆に決意!たどらねばならない平田家のルーツ〜」

8月13日はお盆の入り。
平田家では、神道の作法に沿って静かに迎えます。
(※神道のお盆についてはこちら → https://nadesico-magazine.jp/obon-shindo/

私は現在67歳。11月には68歳になります。
どうやら我が家の男性では最長記録を更新中のようです(笑)。何故か?って。祖父が”短命の家系ゆえ・・”と言う言葉を日記に書き残していたのです。
そんな年齢になった今、どうしても果たしておきたいことがあります。
それは——自分のルーツを、自分の手でしっかりと確かめること。

父の急逝と、途切れた家系の記録
私が20歳のとき、父・平田豊彦(当時50歳)は病で急逝しました。
家族や親戚から話を聞く機会はあったはずなのに、若いころの私は家系の話に興味もなく、右から左へと聞き流していました。(実際父親からチラホラとは聞いていました。)
気づけば、家系図は戦争の混乱で失われ、当時を知る人もわずかになっていました。

薩摩藩士・平田家のルーツ
平田家は、昔で言う薩摩藩の武士の家系だと聞いています。
ネットに残る「薩摩平田氏」の説明によれば、氏宗は島津立久の家老を務め、昌宗の代に島津勝久が没落した後、大隅国曽於郡末吉の平田出羽守宗仍を頼って末吉へ移った——とのこと。(この「末吉」が重要な手がかりです)

薩摩平田氏の紹介ページhttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/s_hirata.html#google_vignette

父が亡くなるまで、本籍は鹿児島県曽於郡志布志町にありました。
幼いころ一時期、志布志で暮らしたこともあります。
志布志城を囲む城下町であった場所を、未就学児の私は毎日のように駆け回っていました。
今でも志布志には我が家系を知る方がいますし、鹿児島に住む親戚の存在も心強い情報源です。

手がかりは戸籍謄本と現地の記憶
実家には戸籍謄本が残っており、高祖父・平田豊太郎の代までは記載があるはずです。
これを手がかりに、近いうちにまた志布志を訪れ、直接足で探る予定です。
今では城下町の面影も薄れましたが、かつては武家屋敷が立ち並び、我が家もその一角にありました。
その情景を胸に描きながら歩く日が、今から楽しみです。

みなさんは、自分のルーツをご存じですか?
私の場合、息子の代から数えて——
私(平田達彦)、父(平田豊彦)、祖父(平田珍麿/読みは“うずまろ”)、曾祖父(平田菅彦)、高祖父(平田豊太郎)までは、なんとなく辿れています。

つい最近もFacebookを通じて志布志在住の方と会話が弾み「末吉の平田家の方ですね」と言われました。
だからこそ、高祖父・豊太郎より前の世代を知りたい。
薩摩平田氏のどの流れに自分がつながっているのか——自分の手で確かめたいのです。
お盆のこの時期、その思いはさらに強くなっています。

曾祖父・菅彦の面影
そしてこちらが曾祖父・平田菅彦。(菅の字、これで良かったよな・・?ボソッ)
武士の面影を残した厳かな佇まいに、写真越しでも背筋が伸びます。
この写真が誰なのか分からなかったのですが、父が亡くなった後に伯母・伊地知万里子に見せたところ、「あら、菅彦じいさんだ」と教えてくれました。


一方こちらは祖父・平田珍麿(うずまろ)の面影。(違う違う、面影じゃない!こちらは画家さんが描いてくれた似顔絵)
実家には写真が山ほどありますが、今回はあえてこの似顔絵を。
あまりにもそっくりで、しかも微妙にユーモラス。
初めて見たときは思わず吹き出しました。
写真と並べると、笑ってしまうくらい”そのまんま”です。(私のお気に入り)

こうして先祖の姿を目にすると、ルーツ探しがますます楽しみになります。
次は志布志を訪れ、戸籍謄本と現地の記憶をつなぎ合わせたい。
少しの間、滞在してみようかとも考えています。
その成果は、またこのブログでご報告します。


爺さんに「おいは自画像だけやっか?」としかられそうなので前言撤回で写真も載せます。
実家のアルバムをスマホで撮った画像から1枚ご紹介します。

右横の学生服の少年が私の父・豊彦。
中央の女性は節子おばさん(祖父の長女)、右端は万里子おばさん(次女)。
左端の女性は現時点では名前が分かりませんが、おそらくアルバムを見れば記載があるはず。
そして、きっと一番の美人です(笑)。ちなみに父親にはここには映っていませんが兄弟姉妹がまだいます。)

この写真は満州から引き揚げてきた頃のものです。
表情や服装から、当時の暮らしの空気が漂ってきます。
我が家にとって、大切な一枚です。

さて——
自分がこの世を去る前に、自分のルーツを明確にしておきましょう。
これは、私にとって人生の締めくくりに近い大切な課題です。

急がねば!”短命の家系ゆえ”(爺さん、余計な事を日記に書き記さないでくれーっ!)

kimamana-jiyujin-1957

創業49期目、横浜のIT企業ハル・エンジニアリング株式会社、代表取締役会長の平田達彦です。2025年3月末まで社長、4月より会長となりました。ブログにて色々な情報を発信させて頂きます。「自由人として愉しむ」を基本に生きています。多くの人たちと絡んでいきたいと考えていますのでどうぞよろしくお願いいたします。愉しい人と人のネットワークの構築と愉しいものづくりを目指します。

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