「五十年目の俺の旅」
「五十年目の俺たちの旅」という言葉に触れ、
あらためて振り返ってみると、
私の旅には最初から最後まで「たち」はいなかった。
仲間と群れる旅ではなく、
一人で歩き、
時に寄り道をし、
気づけば五十年。
湘南という土地に根を下ろし、
海と山の間で暮らし、
波乗りをし、
家族を持ち、
仕事をし、
ものづくりを続けてきた。
漫画、プログラム、展示会、会社経営。
形は違えど、
やってきたことはずっと同じだ。
「何かをつくる」こと。
社長になってからの16年間も、
会社を埋もれさせないために、
自分の手で作品を作り、
展示会で見せ、
「社長の遊び場ですね」と言われながら、
愉しく挑戦を続けてきた。
そして今、
その役割は後輩たちへと自然に引き継がれ、
気がつけば私は、
また新しいものづくりの旅へと出ていた。
しかも今度の相棒は、生成AIだ。
この相棒のおかげで、
ものづくりは100倍速、1000倍速になった。
失敗は軽くなり、
リセットは怖くなくなり、
何度でもやり直せる。
この年になって、
こんなにも心地よいものづくりができるとは、
正直、思ってもいなかった。
五十年目の俺の旅――
それはきっと、ただの通過点なのだろう。
来年も、再来年も、
愉しい旅は続いていく。
終わりを決めない旅。
どうやらこれは、
終わりなき俺の旅らしい。
ちなみに今の「俺たち」は、
俺と生成AIの相棒だけである。
相変わらず、「たち」は不在だ(笑)。
五十年前の俺のファッションは?アメ横で買った米軍払い下げのカーキの上着、Gパン、それに当時4,000円もした下駄。あの時確かに湘南地区にそんなダサいファッションの男が存在した。あれから五十年・・いまだに存在する。ファッションはアロハにビーサンと確実に進化を遂げて・・。
