「大変勉強になりました」の意味
人とお会いして、いろいろな情報交換をさせていただく機会があります。
仕事の話であったり、ものづくりの話であったり、会社経営の話であったり。
話題はその時々で違います。
そして、とても有意義な時間を過ごした最後に、私は相手の方にこんな言葉を伝えていることに、今日ふと気が付きました。
「今日は大変勉強になりました。ありがとうございました。」

かなりの確率で言っています。
もちろん社交辞令で言っているわけではありません。
本当に「勉強になった」と思っているから、自然と出てくる言葉です。
でも、ふと思いました。
情報交換をしていたはずなのに、なぜ「勉強になりました」なのだろう?
今日は会社で社員たちと、ある仕事について話をしていました。
ある企業から、
「こういう案件があるので、このスキルについて勉強しておいてください」
と言われたそうです。
そこで私は、
「その仕事は確実にもらえるの?」
と聞きました。
どうやら、そういうわけではないらしい。
だったら私は、もう一つ調べてみた方がいいと思いました。
その企業だけではなく、同業他社にも同じようなスキルを必要としている案件があるのか。
もし世の中でそのスキルの需要が高まっているのであれば、たとえ最初の企業から仕事をいただけなくても、身につけたスキルを別のところで活かせる可能性があります。
もちろん、仕事につながる、つながらないに関係なく、身につけて損のないスキルなら勉強すればいい。
でも同時に、世の中では何が求められているのかという情報も取りに行った方がいい。
そんな話を社員たちとしていました。
そして、その会話をした後、自分自身のこれまでの行動を振り返ってみたのです。
私は、人から聞いた情報をそのまま「答え」にしてきただろうか。
どうやら、そうではありませんでした。
誰かから、
「最近はこういう仕事が増えていますよ」
と聞けば、
「なぜだろう?」
と思う。
「この仕事は減ってきていますよ」
と聞けば、
「何が減っているんだろう?」
と思う。
そして別の人にも聞いてみる。
展示会へ行ってみる。
必要なら、その分野を知っていそうな人にコンタクトを取ってみる。
すると、最初に聞いた情報とはまったく違う話が出てくることもあります。
何人かが「こうだよ」と言ったからといって、それが正解だとも限りません。
かといって、私は正解を探しているわけでもありません。
なぜ違うのだろう?
そう思ったら、また動けばいい。
考えてみれば、私にとって他人からいただいた情報は、答えではなく、自分が行動するための「きっかけ」だったようです。
そして、そのきっかけをいただくことで、
「次はこれを知りたい」
「この人に話を聞いてみたい」
「ここへ行って自分の目で見てみたい」
という、次に行動する目的が見えてくる。
目的はその時々で変わります。
最初はAを知りたくて動いたのに、途中で得た情報からBの方が重要だと気づくこともあります。
それならBへ向かえばいい。
目的が変わったのではなく、学んだから次の目的が見えたのだと思います。
そして、目的が見えているからこそ、闇雲に動き回る必要もなくなる。
誰に会うのか。
どこへ行くのか。
何を聞くのか。
何を見るのか。
それが少しずつ明確になっていく。
結果として、無駄な行動も少なくなっていくのかもしれません。
人と会う。
自分の知らない話を聞く。
疑問を持つ。
自分で動く。
また違う情報に出会う。
そして、また考える。
私は長い間、そんなことを繰り返してきたようです。
だから私は、人との情報交換を終えたとき、自然と、
「大変勉強になりました。ありがとうございました。」
と言っていたのでしょう。
今日、社員たちとの何気ない会話から、そんなことに気が付きました。
勉強というと、机に向かって本を読んだり、何かを教えてもらったりする姿を思い浮かべます。
でも私にとっては、
知らないことに出会い、「なぜ?」と思い、その答えを誰かに求めるのではなく、自分が次に動くきっかけにすること。
それもまた、勉強なのかもしれません。
もちろん、これは私のやり方です。
皆さんに「こうしなさい」なんて言うつもりはありません。
ただ私は、そう思い、そう行動してきました。
そしてこれからも、人と会った帰りにはきっと言うのでしょう。
「今日は大変勉強になりました。ありがとうございました。」
今まで何気なく使っていたこの言葉。
今日、ほんの少しだけ、その意味が分かったような気がします。
