ありがとう、相鉄ムービル。思い出がギュッと詰まった場所

昨日、相鉄ムービルが長い歴史に幕を下ろしました。

閉館することは以前から知っていました。

最近の私は、横浜駅へ向かうときは東口側を使うことが多くなっています。

理由は簡単。

西口、とくに五番街あたりは人が多い!(笑)

人混みがあまり得意ではない私は、いつの間にか東口側から会社と横浜駅を行き来するようになりました。

でも今日は、なんだか相鉄ムービルを見ておかなければいけないような気がして、いつもの東口ではなく西口側へ。

そしてムービルの前に立ちました。

もう営業は終わっています。

中を見ると、業者の方でしょうか。何やら作業をしているようにも見えました。

入口には、まだお店の看板が並んでいます。

その光景を見ていたら、

「これは写真に残しておかねば」

と思いました。

スマホを取り出して一枚。

今になって見ると、それほど大きな建物ではありません。

でも、その建物を眺めながら思ったんです。

この中に、私たちの思い出がギュッと詰まっているんだな……。


昔の私は、横浜駅と会社の行き来には西口を使うのがほとんどでした。

仕事帰りに飲むことも多かったですからね。(笑)

そして相鉄ムービルが開いていれば、建物の中をそのまま突っ切って駅へ向かう。

なぜわざわざムービルの中を通るのか?

これまた理由は簡単です。

少しでも人のごちゃごちゃを避けられるから。(笑)

映画を観るわけでもない。

食事をするわけでもない。

ただ、会社から駅へ帰るためにムービルの中を通る。

考えてみれば、西口をメインにしていた頃は、ほぼ毎日のように相鉄ムービルを使っていたことになります。

もちろん、通り抜けるだけではありません。

映画もずいぶん観ました。

今でも覚えているのが、仕事帰りに観に行った
『ゴッドファーザー PART III』。

上映時間が3時間近くあったものだから、映画を観ながら、

「これ、帰りの電車は大丈夫なのか?」

と心配になったことを覚えています。(笑)

今ならスマホを取り出せば終電なんてすぐに分かります。

でも、そんな時代じゃありません。

映画の内容とは別のところで、少々ドキドキしながら観ていました。


ムービルには、よくランチにも行きました。

中華屋さんには特によく行ったなあ。

別に会社のみんなで、

「今日は一緒に食べに行こう!」

なんて約束して行くわけではありません。

一人でふらっと店に入る。

ところがカウンターを見ると、

「あれ? お前もいるの?」

また一人。

「あれ? またいるじゃん」

気がつけば、会社の人間が何人もカウンターに並んで飯を食っている。(笑)

しかも、創業者の水野さんまでいる。

誰も待ち合わせなんかしていないのに、なぜかみんな同じ店に集まっている。

そんなこともありました。

居酒屋では会社の宴会もやりました。

映画を観た。

昼飯を食べた。

酒を飲んだ。

宴会をした。

そして、何でもない日はただ中を通り抜けた。

そう考えると相鉄ムービルは、何か特別な日にだけ出かける場所ではなかったんですね。

私たちの日常そのものの中にあった建物でした。


相鉄ムービルという名前には、さらに昔の記憶もあります。

現在の場所にあったムービルは二代目。

初代の相鉄ムービルは別の場所にあり、そちらも私は知っています。

残念ながら、

「初代ムービルを撮っておこう」

なんて意識で写真を撮った記憶はありません。

当たり前ですよね。

そこにあるのが当たり前だったんですから。

ただ、昔の横浜駅周辺を撮った写真は結構残っています。

もしかすると、その中に、

「あれっ!? 初代ムービル、写ってるじゃん!」

なんて一枚があるかもしれません。(笑)

今度探してみようと思います。

わが社が現在の三石ヨコハマビルに入居した頃、横浜駅周辺を撮った写真も残っています。

その写真には、現在の相鉄ムービルはまだありません。

ムービルがなかった横浜を知っている。

ムービルがある横浜で仕事をしてきた。

そして今日、営業を終えたムービルを自分の手で撮った。

ずいぶん長い時間を横浜で過ごしてきたものです。


今日、平沼橋の方から建物全体も撮ろうかと思いました。

でも、やめました。

建物はすっかり色褪せていました。

私が残しておきたかったのは、建築物としての相鉄ムービルの記録ではなかったのかもしれません。

今日撮ったのは、あの入口。

何度も入った入口。

そして何度も通り抜けた入口。

それでいい。

昨日まで、そこにはいつものように相鉄ムービルがありました。

今日、その前に立って初めて気づきました。

今ではそれほど大きいとも思わない一つの建物の中に、私たちの何十年分もの思い出が、ギュッと凝縮されて残っていたんだな。

建物はいずれなくなります。

でも今日、一枚の写真を撮ったことで、私の中の相鉄ムービルは残りました。

映画を観たことも。

終電を心配したことも。

中華屋のカウンターに、なぜか会社の人間が何人も並んでいたことも。

みんなで酒を飲んだことも。

そして、人混みを避けるために毎日のように中を突っ切ったことも。(笑)

全部まとめて――

ありがとう、相鉄ムービル。

長い間、お世話になりました。

そして、たくさんの思い出をありがとう。

今日、ちゃんと写真に残しておいてよかった。


【追記】妻、結局ムービルデビューならず

そういえば、もう一つ思い出しました。

妻は「フーテンの寅さん」が好きです。

あるとき寅さんの映画を観たいということになったのですが、当時上映している映画館が少なかった。

調べてみると、

「おっ、横浜の映画館でやってるぞ!」

ということで、二人で横浜へ。

私の頭の中では、

横浜の映画館=ムービル。

何の疑いもなくムービルまで行きました。

ところが――

やってない。

「えっ? どこだ?」

その場で改めて調べてみたら……

日ノ出町駅前の映画館だった。(笑)

「やばい! 行くぞ!」

慌てて電車に乗って日ノ出町へ。

なんとか映画館にたどり着いたのですが、そこがまた何とも昭和の香り漂う映画館で……。

いや、「昭和の香り」なんて綺麗に書いてはいけません。

おトイレ臭い。(笑)

寅さんを観るために横浜までやって来て、ムービルへ行ったら映画をやっておらず、慌てて電車に乗って日ノ出町へ移動。

そして到着した映画館がおトイレ臭い。

踏んだり蹴ったりである。

そんなこともありました。

そして今回、相鉄ムービルは閉館。

考えてみれば妻は――

一度ムービルまで行ったにもかかわらず、結局ムービルで映画を観ることなく、ムービルデビューを果たせないまま幕引きとなりました。(笑)

ありがとう、相鉄ムービル。

そして妻よ。

あなたのムービルデビューは、永遠に未遂です。

――完――

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創業50期目、横浜のIT企業ハル・エンジニアリング株式会社、代表取締役会長の平田達彦です。2026年年1月21日付けで、同業IT企業システム二コル株式会社の社外取締役に就任いたしました。ブログにて色々な情報を発信させて頂きます。「自由人として愉しむ」を基本に生きています。多くの人たちと絡んでいきたいと考えていますのでどうぞよろしくお願いいたします。愉しい人と人のネットワークの構築と愉しいものづくりを目指します。 ※ちなみに私のお渡しする名刺の裏側には怪しい鳥が羽ばたくイラストが描いてあります。それは会長ならぬ怪鳥を表しています。日々怪しく飛び回る鳥の如くなのです。(笑)

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