地獄の蒲田行進曲 ~終電?そんな日本語ありましたっけ?~
今日、何気なくテレビで『ぶらり途中下車の旅』を見ていました。
画面に映っていたのは、蒲田。
蒲田といえば、今では餃子や町工場の街という印象を持つ人も多いと思いますが、かつてここには松竹蒲田撮影所がありました。
現在の大田区民ホール・アプリコがあるあたりです。
番組では、地下に展示されている当時の撮影所の模型なども紹介されていました。
そうだった。
蒲田は、映画の街だったんですよね。
私の世代になると、松竹の撮影所といえば大船の印象の方が強い。
私自身も、つかこうへいさんの『蒲田行進曲』を知るまで、蒲田にそんな大きな撮影所があったことを知りませんでした。
しかし――。
蒲田行進曲なら、私にもある。
ただし、こちらは映画ではありません。
れっきとしたノンフィクションです。(笑)
題して、
「地獄の蒲田行進曲」
昔、私は安藤電気という会社の仕事を長年やっていました。
計測機器の開発です。
これがまあ、忙しかった。
猛烈に忙しい時期には、月の残業時間が100時間を超えることも珍しくなかった。
朝、蒲田へ向かう。
仕事を始める。
さて、今日は何時に帰れるのだろう?
そんなことは誰にも分かりません。
終電?
……そんな日本語、ありましたっけ?(笑)
仕事が終わらなければ、帰れない。
だったら泊まればいい。
実に合理的です。
工場の中にも泊まれるところがありました。
さらには、近くのマンションを仮眠用に借りていたこともありました。
ありがたいですねえ。
疲れた技術者のために、寝る場所まで用意してくれている。
……。
いや、誰も頼んでないから!(笑)
こちらとしては、泊まる場所より、
家に帰る時間をください。
なのであります。
もっとも、これは何十年も前の私の記憶。
今となっては笑って話せる昔話ですし、長い年月の間に私の脳内フィルムも多少編集されているかもしれません。
関係者の皆様から、
「そんな事実はございません!」
と怒られても困りますので、そこは昭和から平成を走り抜けた一技術者の思い出話として、やんわりお読みください。(笑)
ただ、一つだけ間違いなく言えることがあります。
よく働きました。
そして不思議なのが、その蒲田との縁です。
あれほど、
「蒲田か……」
と思うほど仕事をした街なのに、なぜか今でも縁が切れません。
現在お世話になっている会計事務所も蒲田。
最近では、大田区の町工場の方々との縁もできました。
展示会で知り合った企業にも、大田区の会社が何社かあります。
こちらから蒲田を追いかけているつもりなど、まったくありません。
なのに向こうからやってくる。
蒲田が私を離してくれない。(笑)
考えてみれば、昔の蒲田では映画を作っていた。
その後、私は蒲田で計測機器を作っていた。
そして今は、大田区の町工場や企業の人たちと、新しいものづくりの縁が生まれている。
時代も、作るものも、関わり方もまったく違います。
それでも私の人生のところどころに、
「ものをつくる街・蒲田」
が顔を出す。
今日、テレビで松竹蒲田撮影所の話を見なければ、そんなことを考えることもなかったでしょう。
映画の『蒲田行進曲』はフィクション。
私の『地獄の蒲田行進曲』はノンフィクション。
そしてどうやら――
私の蒲田行進曲は、まだ終演していないようです。
さて。
次は蒲田で、何が起きるのでしょうか。
できれば今度は、
ちゃんとその日のうちに帰れる話でお願いしたいものです。(笑)

