私のものづくりは、小学生の頃から進歩していなかった(笑)
ふと、自分はいつ頃から「ものづくり」をするようになったのだろう?と考えた。
絵は子供の頃から毎日のように描いていた。
でも、「ものづくり」という言葉が一番しっくりくるものは何だったのか。
思い出した。
ダイヤブロックだ。
最初はレゴブロックだったような気がしていたのだが、昔の記憶を辿っていくと、間違いない。
私が小学生の頃、夢中になっていたのはダイヤブロックだった。
当時のダイヤブロックは、今のブロック玩具のように、何かを作るための専用部品がたくさん用意されているようなものではなかったと記憶している。
基本的には単純な形のブロック。
だから、何を作るかは自分次第だった。
当然、小学生の私が手書きの図面なんぞ描くわけがない。
頭の中で、
「こんなものを作ろう」
と思い描き、そのまませんせとブロックを組み上げていく。
そして出来上がる。
おお、出来た!
その瞬間は、自分なりにその出来栄えに満足している。
そして出来上がったものを、舐めるように観察する。
前から見る。
横から見る。
反対側からも見る。
そうして眺めているうちに、今度は別のものを作りたくなってくる。
すると、さっきまで満足して眺めていたものを、あっさり壊す。
そしてまた、そのブロックを使って新しいものを作り始める。
作る。
眺める。
次を思いつく。
壊す。
また作る。
これをエンドレスで繰り返していた。
今思えば、私のものづくりの基本形は、この頃すでに出来上がっていたのかもしれない。
そういえば、ダイヤブロックだけではなかった。
もう時効だから白状するが(笑)、近所の戸建て住宅の建築現場に大工さんがいなくなると、少年平田が出没することがあった。
もちろん建築資材を持っていったわけではない。
明らかに廃棄するための袋に入れられた、様々な形の木の切れ端。
それを許可もなく拝借していたのである。
ごめんなさい。(笑)
でも、あれが実に面白かった。
木の切れ端だから、形も大きさもバラバラ。
長いものもあれば短いものもある。
斜めに切られたものもある。
それを積み木のように組み合わせながら、いろいろなものを作った記憶がある。
大人にとっては捨てる木っ端でも、子供の私には立派なものづくりの材料だった。
考えてみれば、
「捨てればゴミ、活かせば製品。」
なんてことを今になって言っているが、その原型はこの頃からあったのかもしれない。
そして60年以上が過ぎた。
かなりの年寄りになった。(笑)
さすがに現在は、頭の中だけでいきなり作り始めることは少なくなった。
まず頭の中で描く。
そしてノートに向かって、ラフを殴り書きする。
特に最近ハマっている3Dプリンターを使ったものづくりでは、ダイヤブロックとは違って寸法が非常に重要な要素になる。
だからラフの段階で、自分がイメージした寸法を書き込む。
それをCADで図面にする。
そして3Dプリンターで現物を作る。
つまり、
頭の中で描く。
↓
ノートに殴り書きする。
↓
寸法を入れる。
↓
CADで図面を作る。
↓
3Dプリンターで現物にする。
おお!
小学生の頃より工程が増えているではないか!
60年以上かけて、少しは成長したようだ。(笑)
しかし、そこから先がいけない。
3Dプリンターから出来上がったものを取り出す。
おお、出来た!
そして、舐めるように観察する。
前から見る。
横から見る。
ひっくり返す。
実際に使ってみる。
すると、
「待てよ?」
が始まる。
「ここをこうしたら?」
「この部分、違うものに使えないか?」
「だったら、こんなものも作れるんじゃないか?」
……。
結局、小学生の頃と何も変わっていないではないか。(笑)
ただ、今のものづくりで何が愉しいかというと、ダイヤブロックの頃とは決定的に違うところがある。
ダイヤブロックは、最初から寸法の決まったブロックを組み合わせて作るものだった。
しかし今は、そのブロックそのものから自分で作ることができる。
寸法も自分で決める。
形も自分で決める。
頭の中に思い描いたものを図面にして、3Dプリンターに送り込めば、数時間後には現物として自分の目の前に現れる。
昨日まで、この世の中に存在していなかったもの。
唯一無二の、この世の中に一つしかないものを自分で作ることができる。
これが実に愉しい。
そして私は、ものづくりにおいて一つだけ最低限のルールを決めている。
とにかく現物を作ること。
頭の中だけで考えていても分からない。
図面を眺めているだけでも分からない。
現物を作る。
手に取る。
眺める。
使ってみる。
すると、それまで見えなかった風景が見えてくる。
私は、その風景が見たくてものづくりをしているのだと思う。
今、面白い試みをしている。
たくさんの層を差し込める台座を3Dプリンターで作り、それぞれの層に違う風景を描いた板を作って差し込んでいく。
木々の層。
街並みの層。
空に浮かぶ雲だけの層。
それぞれ単独では単純なものでも、何枚も重ねたらどうなるのだろう。
見たこともない風景が出来上がるのではないか?
そんなことを期待しながら遊んでいる。
これは製品というより、今のところ私の遊び道具だ。
一方、それとは実に対照的に、今進めている別のプロジェクトでは、限りなくシンプルな世界を目指している。
余計なものを削る。
言葉も削る。
できるだけ単純な表現で、その中にある思想を伝えたい。
現時点では、このシンプルな方向が限りなく正解に近いと思っている。
ただし!
私には突然180度方向転換するという必殺技が備わっている。
したがって明日の私は何を言っているか分からない。(笑)
そして、もう一つ。
私は意外と飽き性である。
だから昔から、一つのことだけを延々と続けるシングルタスクより、いくつものことを同時に走らせるマルチタスクの方が性に合っている。
同じ系統のものづくりをいくつも走らせることもあれば、まったく関係のないことを同時に考えていることもある。
まあ私の頭脳なんぞ、せいぜい2ビットCPU程度のものである。
しかし侮ってはいけない。
2ビットあれば、
00、01、10、11。
4つのパターンで動けるのじゃ!
……。
たった4つかい!(笑)
それでも今現在、頭の中には3つ、4つのものが普通に走っている。
そして今では、生成AIという実に面白い相棒もいる。
頭の中に浮かんだアイデアを毎日のように生成AIへぶつける。
ああでもない。
こうでもない。
それは違う。
こっちの方が面白い。
そんな壁打ちを繰り返しながら、頭の中にしかなかったものを、少しずつ他人にも見える形にしていく。
そしてある程度まで形になったら、資料にまとめる。
何のため?
キラーパスを出すためだ。
誰に?
決まっているだろう。
ハルの技術者諸君にだよ。(笑)
今も、私の提案から若い技術者が生成AIを組み込んだアプリを作っている。
今日のお昼頃、その技術者の面倒を見てくれているリーダーからチャットが飛んできた。
とある地方自治体で、同じような発想のアプリが作られていて、9月1日にリリースされるらしい。
その情報を見て、私はなぜか嬉しくなった。
「おいおい。何で同じ時期に同じような発想のアプリを作ってくれちゃってるのよ!」
みんな同じような時期に、同じようなことを考えるものなのだな。
でも、すぐにこう言った。
「それはローカルな世界で使うものでしょう? ハルが作っているアプリは全国区なんだよ^^」
もちろん、生成AIだから間違えることもあるだろう。
でも、それでいい。
それは「使えない」という結論ではない。
今現在、ここに課題がある。
それが分かっただけだ。
そこで、
「ほら、使えないじゃん!」
と言ってやめる人もいる。
一方で、
「なるほど。これが今現在の課題なんだな」
と考えて、次へ進む人もいる。
私は、この違いが未来への分岐点になると思っている。
今、若い技術者たちに経験してほしいのもそこだ。
生成AIを使ったものづくりに、とにかく慣れる。
作る。
動かす。
失敗する。
課題を見る。
また作る。
そして、今まで地域という狭い範囲に閉じていたような仕組みを、生成AIを使うことで、もっと大きな世界へ広げられないかと考える。
完成したら終わりではない。
完成したものを舐めるように観察すると、そこからまた次の風景が見えてくる。
そう考えると、やっぱり私は小学生の頃から大して変わっていない。
ダイヤブロックが、CADと3Dプリンターと生成AIに変わっただけなのかもしれない。
無いものを、自分で作る。
作ったら、そこから見える風景を眺める。
そしてまた、まだ見ぬ風景を探して次を作る。
さて。
ものづくりは、恐らく死ぬまで続けるのでしょう。
だって、まだ見ぬ風景を、これからも見続けたいからね。
……。
本音?
老化防止さ。(笑)

