少年の日、宮崎空港の管制塔から見た景色
私がまだ中学生だった頃のお話です。
当時、私には大きな夢がありました。
将来、旅客機のパイロットになること。
今から半世紀以上も前の話になりますが、あの頃の出来事は、今でも鮮明に覚えています。
空を飛ぶことに憧れた少年
私の母親の弟、つまり叔父は、航空自衛隊の戦闘機パイロットから民間航空会社へ転職し、日本航空(JAL)のパイロットをしていました。
もっとも、叔父に刺激されてパイロットを目指したというわけでもありません。
ただ、私自身が飛行機というものに強く惹かれていたのです。
中学生の頃はプラモデル作りにも夢中でした。
特に好きだったのが旅客機。
組み立てるだけでなく、塗装まで施して完成させる。
自分の手の中で、憧れの旅客機が少しずつ形になっていく。
それが愉しくて仕方ありませんでした。
そして、いつしかプラモデルだけでは満足できなくなっていました。
いつか自分が、あの大きな旅客機を操縦してみたい。
そんな夢を抱いていたのです。
航空大学校を目指して
当時、民間航空会社のパイロットになる道として、私が考えていたのが航空大学校への進学でした。
航空大学校は、何と私の地元、宮崎にもありました。
入学後、まず宮崎で学び、その後、仙台でも訓練を受ける。
空の世界は遠い存在のようでいて、実は意外なほど身近にあったのです。
私は中学生の頃から、航空大学校の受験科目を意識して物理を勉強していました。
さらに、現役の航空大学校生と文通までしていたのです。
今ならインターネットで何でも調べられますが、当時はそんな便利なものはありません。
手紙を書き、返事が届くのを待つ。
そんなやり取りをしながら、パイロットになる夢を膨らませていました。
そう考えると、私は昔から文章を書くことも好きだったのでしょうね。
今こうして毎日ブログを書いているのも、案外その頃からの延長なのかもしれません。
宮崎空港へ通う日々
飛行機が大好きだった私は、宮崎空港にもよく足を運んでいました。
目的はもちろん、旅客機の離着陸を見ること。
大きな機体が滑走路を走り、空へ舞い上がっていく。
あるいは、空の彼方から現れた機体が、滑走路へ降りてくる。
何度眺めても飽きることはありませんでした。
そんなある日のこと。
私は空港にある管制塔を見上げながら、ふと思ったのです。
「あそこから飛行機の離着陸を見てみたい!」
普通なら、そう思って終わるのでしょう。
ところが、当時の私は世間知らずの中学生。
管制塔がどれほど特別な場所なのか、そんなことは考えていません。
見たいものは見たい。
だったら、お願いしてみればいい。
そこで私は、空港職員の方に声をかけました。
恐らく、かなり偉い立場の方だったのではないかと思います。
そして、単刀直入にお願いしたのです。
「管制塔から飛行機の離着陸を見たいんです!」
今考えると、とんでもないお願いです。(笑)
まさかの展開!
ところが、ここから信じられないことが起きました。
ちょうど着陸した旅客機から、パイロットの方が降りてきたのです。
空港職員の方は、そのパイロットに私のことを話してくれました。
「この少年が、管制塔に上がって飛行機の離着陸を見たいと言っている」
そんな内容だったのでしょう。
すると、そのパイロットは管制塔の職員と電話で話をしてくれたのです。
そして、何と!
パイロット自らが空港の車を運転し、私を管制塔まで連れて行ってくれたのです!
いやぁ、驚きました。
憧れのパイロットが運転する車に乗り、普段は入れない管制塔へ向かう。
少年にとって、夢のような出来事でした。
そして、ついに管制塔へ。

そこから眺める空港の景色は、いつも地上から見ていたものとはまったく違いました。
さらに驚いたことに、管制官の方が、実際に業務で使用している双眼鏡を貸してくださったのです。
その双眼鏡で旅客機をのぞいてみると……。
でかい! とにかく、でかい!
巨大な旅客機が、目の前に迫ってくるように見えるのです。
あの迫力は、今でも忘れられません。
思う存分、管制塔から飛行機の離着陸を眺めさせてもらいました。
そして帰りも、パイロットの方が車を運転し、空港ロビーの前まで送ってくださいました。
何という一日だったのでしょう。
夢を応援してくれた大人たち
今になって思うのです。
あの日、私の願いを聞いてくださった空港職員の方。
管制塔に連絡し、自ら車で案内してくださったパイロットの方。
そして、双眼鏡まで貸してくださった管制官の方。
皆さん、それぞれ仕事を抱えていたはずです。
それなのに、一人の中学生の願いに応えてくださった。
本当にありがたいことでした。
あの方々にとっては、仕事の合間のちょっとした出来事だったかもしれません。
しかし、少年だった私にとっては、半世紀以上経った今でも忘れることのできない、一生の宝物になったのです。
もちろん、現在の空港の保安体制では、同じようなことは難しいでしょう。
だからこそ、あの時代に経験できたことを、なおさらありがたく感じています。
航空大学校には入ったことがある!
そうそう。
実は私、航空大学校の中にも入ったことがあるんですよ。
ただし、入学したわけではありません。(笑)
当時所属していたボーイスカウトの隊長と、航空大学校の学校長がお友達だったのです。
そのご縁で、航空大学校のプールサイドでバーベキューをしたことがありました。
憧れの航空大学校でバーベキュー!(プールサイドでね)
なかなかできない経験でしょう?
これもまた、懐かしい思い出の一つです。
そして、夢は……
こうして、ますますパイロットになりたいという気持ちが強くなっていきました。
ところが、時代は大きな不況に見舞われます。
航空大学校を卒業しても、航空会社への就職先がない。
中には、卒業後に改めて普通の大学へ入り直す人まで出ていたのです。
そんな状況を見て、JALでパイロットをしていた叔父からも言われました。
「パイロットは諦めて、普通の大学を目指した方がいい」
航空業界の現実を知る叔父の言葉でした。
そして私は、パイロットになる夢を諦めました。
あれほど憧れ、あれほど目指していた世界でしたが、時代の流れには逆らえませんでした。
世間知らずだったからこそ
今、68歳になって、あの頃の自分を振り返ってみると、つくづく思うことがあります。
世間知らずというのは、ある意味、恐ろしいものです。(笑)
管制塔に上がりたいと思ったら、空港職員にお願いしてしまう。
できるか、できないか。
そんなことを考える前に、まず行動していたのです。
今なら、きっと余計な知識が邪魔をするでしょう。
「そんなことをお願いしても無理だろう」
「迷惑になるんじゃないか」
「断られたら恥ずかしい」
でも、あの頃の私は、そんなことを考えもしませんでした。
見たい。だったら、お願いしてみよう。
ただ、それだけ。
そして、実際に行動したことで、忘れられない経験をすることができました。
もちろん、何でもお願いすれば実現するという話ではありません。
あの日は、私の願いを受け止めてくださった大人たちがいたからこそ、実現したのです。
それでも、もし私が管制塔を見上げるだけで帰っていたら、あの景色を見ることはなかったでしょう。
パイロットになる夢は、残念ながらかないませんでした。
しかし、夢を追いかけていた時間は、決して無駄にはなりませんでした。
行動すれば、必ず夢がかなうわけではない。
でも、行動しなければ、決して出会えない景色がある。
半世紀以上前、宮崎空港の管制塔から双眼鏡で見た、あの巨大な旅客機。
今でも私の心の中では、鮮やかに輝いています。
そして68歳になった今も、私の基本姿勢はあまり変わっていないようです。
何か面白そうなことを思いついたら、まず動いてみる。
さてさて、次はどんな景色に出会えるのでしょうか。
人生、まだまだこれからですぞ!
けけけ……。
