「侘び寂び」って、そういうことだったのか。
昨夜、テレビを見ていた。
豊臣秀長と千利休が茶を飲む場面だった。
秀長が茶を飲んで「美味しい」と言う。
ところが利休は、自分で点てた茶を口にすると、
「にがぁ~~!」
そして懐から甘いものを取り出して口に入れ、
「美味しい~!」
そんなやり取りだった。
苦い茶があるから、甘いものがより美味しく感じる。
その場面を見ながら、私の頭の片隅に引っ掛かった言葉があった。
「うむっ!? これが侘び寂びというものなのか?」
私は昔から「侘び寂び」という言葉は知っている。
日本人なら、一度くらいは聞いたことがあるだろう。
ところが、
「では、侘び寂びとは何ですか?」
と聞かれたら、ちゃんと説明できない。
私もその一人だった。
なんとなく、古いもの。
なんとなく、静かなもの。
なんとなく、茶道。
その程度である。
そして今朝。
いつものように相棒に聞いてみた。
すると出てきたのが、
「侘び茶」
という言葉だった。
侘び茶……。
知らなかった。
加藤茶なら知っていたが。(笑)
ここから、私の「お調べ遊ばせモード」が始まった。
私は昔から、何かが頭に引っ掛かると放っておけない。
「うむっ!?」
と思った瞬間、調べたくなる。
侘び茶を調べていくと、千利休だけで突然生まれたものではなく、その前から続いてきた茶の文化があり、それを利休たちがさらに研ぎ澄ませていったことも分かってきた。
そして茶そのものだけではなく、私は次第に茶室という空間に興味を持ち始めた。
小さな茶室。
立ったままでは入れないほど低い、にじり口。
刀を外して中へ入る。
狭い空間で、互いの顔がよく見える距離に座る。
大声を出す必要もない。
茶を飲む。
少し黙る。
また話す。
面白い。
そこには、
「ここでは肩書を忘れてください」
なんて看板はない。
それでも、偉い人もそうでない人も頭を下げなければ入れない。
武士であれば刀も外す。
狭いから、相手との距離も自然と近くなる。
人に「こう振る舞いなさい」と言うのではなく、
空間そのものが、人の振る舞いを変えてしまう。
これは面白い。
さらに調べてみると、私がなんとなく茶道から生まれたと思っていた「侘び寂び」は、そんな単純な話でもなかった。
「侘び」も「寂び」も、もっと古くから日本人の中にあった感覚で、それが茶の世界にも入り、形として表現されていった。
豪華だから美しいわけではない。
新しいから価値があるわけでもない。
完璧に揃っているから美しいとも限らない。
欠けているもの。
古くなったもの。
不揃いなもの。
余計なものを削ぎ落としたもの。
そこにも、美しさや豊かさを感じる。
なるほどなぁ。
68年間生きてきて、「侘び寂び」という言葉は知っていた。
でも今日、
少しだけ、その言葉の中へ入れたような気がした。
これだから面白い。
最近、何を聞いても勉強になる。
知らないことが減っていくというより、
知っているつもりだったものの中に、知らないことが次々と見つかる。
それが面白い。
だから私は、
引っ掛かったら、ほっとかない。
「うむっ!?」と思ったら調べる。
そして、できることなら実際に見に行く。
今度は、小さな茶室にも入ってみたいと思っている。
鎌倉の報国寺で竹林を眺めながらいただく抹茶も大好きだ。
でも今度は、景色を見るためではなく、
茶室という空間そのものを体験してみたい。
入口の低さ。
人との距離。
声の大きさ。
茶を飲んだあとの沈黙。
実際に自分がそこへ入ったら、何を感じるのだろう。

まだまだ知らないことだらけである。
ということは――
まだまだ進化できるということだ。(笑)
本日の余談――そして、また「うむっ!?」が出た。
今日はLIFE×DESIGN展にも行ってきた。
素晴らしい製品がたくさん並んでいた。
完成度も高い。
デザインも素晴らしい。
ただ、申し訳ないが爺さんの反応は、
「ああ、そうですか!」
である。(笑)
完成されたものを見て感心はする。
でも、なかなか私の中の「うむっ!?」が出てこない。
ところが、一か所で足が止まった。
SHITSURAE(シツラエ)。
廃材を使って、新しいものを生み出している人たちだった。
そこで見つけたのが、透明な四角いアクリルケース。
その中に、小さなものがたくさん浮かび、灯によって光っている。
私には、
「ほたるがいっぱい光ってるじゃん!」
と見えた。
聞いて、さらに驚いた。
その小さなものは、ノートなどに穴を開けたときに出る、
あの丸い紙。
……。
普通、捨てるだろう!?(笑)
ノートによって穴の大きさも違う。
まん丸とも限らない。
紙も違う。
それを捨てずに使う。
しかも手作りだから、同じものは世界に二つとない。
不揃いであることが、欠点ではなく価値になっている。
そして灯を与えたら、私にはほたるに見えた。
やべぇーっ!
久しぶりに展示会で、この感覚が出た。
担当の方と話し込んだ。
聞けば、さまざまな企業から多種多様な廃材が集まるようになってきたという。
それを聞いたら、完成した商品より、私はそっちを見たくなった。
どんなものが捨てられているんだろう?
まだ使い道の決まっていない廃材には、何があるんだろう?
蔵前にはお店があり、ものづくりをしている場所も比較的近いという。
私はお願いしてみようと思っている。
店だけではなく、
ものづくりの現場も、できれば廃材を保管している倉庫も見せてほしい。
商品を見たいだけじゃない。
まだ何者にもなっていないものを見たい。
そして彼らは、営業があまり得意ではないとも話していた。
だったら、私に何かできることはないだろうか。
大したことはできない。
ただ、誰かと誰かをつなぐくらいならできるかもしれない。
廃材を捨てている企業と、それを面白がる人。
技術を持っている人と、素材を持っている人。
出会わなければ、ただのゴミで終わる。
でも出会ったら、何かになるかもしれない。
私が以前から言っている言葉がある。
「捨てればゴミ、活かせば製品。」
今日、その言葉をまったく別の人たちが、実物で見せてくれたような気がした。
朝は、
「侘び寂びって何だ?」
そして午後は、
「ノートの穴の紙を捨てないだと!?」
何を聞いても、何を見ても勉強になる。
68歳。
まだまだ世の中には、
「うむっ!?」
が転がっている。
だから面白い。
……ただし。
侘び茶より加藤茶の方を先に知っていたことだけは、間違いない。(笑)
