「石を積む者、遺伝子を継ぐ者:プペルに見たジブリの影」
プペルのCMを見た。
その瞬間、なぜかジブリを感じた。

理由は分からない。
でも、確かに何かが引っかかった。
そこから自然と
「君たちはどう生きるか」という作品が頭に浮かぶ。
あの作品を観たとき、私は正直、整理しきれない感覚を持った。
物語として追いかけようとすると、どこか噛み合わない。
しかし一方で、妙に引っかかるものが残る。
観終わったあとに残ったのは、
「理解した」という感覚ではなく、
「何かを受け取った」という感覚だった。
私はあの作品を、
宮崎駿監督が外に向けて作った作品というより、
内側に向けて投げたメッセージだと感じている。
長年共に作品を作ってきた関係者、
その世界を支えてきた人たちに対して、
「この先、お前たちはどうするのか」
そう問いかけているように見えた。
そしてもう一つ、強く感じたことがある。
この作品では、これまでの宮崎駿作品に登場してきた者たちが、
微妙に姿や形を変えて現れている。
同時に、ジブリを支えてきた人たちそのものも、
姿を変えて登場しているように見えた。
それは単なるキャラクターではなく、
これまでの作品と現場に関わってきた“存在”そのものの投影のようだった。
だから私は、この作品をこれまでのジブリ作品の総括とさえ感じた。
そして、あの積み上げられた石。
一つ一つ積み上げてきたもの。
それは、宮崎監督がこれまで作ってきた作品そのものにも見えた。
だが、それをどうするのか。
これは物語ではない。問いだ。
宮崎駿という存在が残したものは、
単なる作品の数々ではない。
“遺伝子”だったのではないか。
ジブリという場で育った人たち、
そこに関わってきた多くのクリエイターたちは、
その遺伝子を受け取りながらも、
それぞれの表現として新たな世界を作り出している。
同じものを作るのではなく、
微妙にずらし、変化させ、
自分たちの色を加えていく。
だからこそ、広がる。
プペルという作品もまた、
まったくのゼロから生まれたものではない。
制作を手がけたスタジオ4℃には、
かつてジブリ作品の現場に関わっていた人材がいる。
つまりあの世界観は、
突然現れたものではなく、
これまで積み上げられてきたものの延長線上にある。
私はプペルの作画を見て安心した。
ああ、あの遺伝子は消えていない。
形を変えて、ちゃんと生きている。
保守では止まる。
改革と挑戦で、新たな世界が生まれる。
守るだけでは残らない。
変えていくからこそ、続いていく。
だから私は、流れに留まらない。
自分の場所で、変えながら続けていく。
ジブリは終わっていない。
形を変えて、広がっている。
そしてそこには常に、
「こう生きるのだ」という強い意志がある。
私は、そう感じた。
