「通えません!」と即答した若造が、50期目の会長になるまで。

明日から、いよいよ50期目に入る。

改めて振り返ってみると、
ずいぶん長い時間を歩いてきたようにも思えるし、
ただ目の前のことを一つずつこなしてきただけのような気もする。

私がハルに入ったきっかけは、実にあっさりしたものだった。

あの頃、私はまだ何をしようか定まっていなかった。
ただ「これからはソフトウェアの時代らしい」という空気だけは感じていて、
とりあえず何社かソフトウェア企業を受けてみた。

東京の会社の面接では、こう聞かれた。

「遠いけど通えますか?」

私は即答した。

「通えません!」

すると面接官が少し間を置いて言った。

「これ以上面接する必要ありますか?」

「無いです!」

それで終わり(笑)
実に世の中をなめた若造だったのだ。

もう一社は、宇宙関連の開発をしている企業だった。
「ぜひそちらに行ってほしい」と言われたが、

「興味ないので」

と、これも断った。
きっと電話口の向こうでは、採用担当が拳を握りしめたまま、怒りを押し殺し、眉間に血管を浮かせていたに違いない。

そんな中で出会ったのがハルだった。

面接は会社の中ではなく、
ハルの事務所が入っていたビルの2階の喫茶店。

近場であること。
横浜という街。
そしてどこか変わった雰囲気。

それが妙に気に入った。

正直に言えば、
けして水野の人柄に惚れて入ったわけではない。

強い感動があったわけでもない。
運命を感じたわけでもない。

ただ、

「ここでいいか」

そのくらいの感覚だった。(やはり世の中舐めまくってる)

どうせ3年くらいやったら辞めるつもりだったし、
とりあえずソフトウェアというものをかじっておこう、
そんな軽い気持ちだった。


新人の頃、いきなり言われた。

「明日から某企業に一人で行ってくれ」

片道2時間半の電車通勤。
行った先では、部長や課長が出てきての値段交渉。

「えっ、新人の若造と値段交渉ですか!?」

そんなことを思いながら、席に座っていた。

ある時は、3日間連続の徹夜作業。
ようやく解放されて、ふらふらのまま駅に着いた。

すると、メーカーの社員がチャリで先回りしていて、

「お帰りはこちら」

と言わんばかりに、後ろに乗せられる。

ドナドナドナドォ~ナ、と口ずさみながら、
再び仕事場へ連れ戻された。

またある時は、初日にこう言われた。

「3か月後が出荷だから、休みなしでお願いね」

笑顔だった。

そして、本当にその通りだった。

出荷最終日、
大きな地震に見舞われた。

泊まり込みで続いた案件では、
ある社員が持ってきたスポーツ新聞で知った。

ロスオリンピックの最終日だった。

オリンピックが開催されていたことすら、
その時まで知らなかった。

今となっては笑い話のようなエピソードが、
てんこ盛りのハルでの歴史。

話し始めればいくらでも出てくるが、
今回はこの程度にしておこう。


あっ、そうそう。

就職活動のとき、もう一社受けようとしていた会社があった。
株式会社ハマ・ソフトウェア。

結局そこは受けなかったのだが、
後になって知った。

そこも同じく、水野が社長をやっていた会社だった。

軽い気持ちで選んだ場所だった。

だが気がつけば、
その場所で人生の大半を過ごしていた。

明日から50期目に入る。

特別なことは何もない。
これまでと同じように、
また目の前の一歩を積み重ねていくだけだ。

だが、ふと思う。

あの喫茶店での出会いがなければ、
この道はなかったのだろうと。

そして同時に、
選ばなかった道の先にも、
同じ縁があったのかもしれないとも思う。

どちらにしても、今ここにいる。

それで十分だ。

また、明日から。

kimamana-jiyujin-1957

創業50期目、横浜のIT企業ハル・エンジニアリング株式会社、代表取締役会長の平田達彦です。2026年年1月21日付けで、同業IT企業システム二コル株式会社の社外取締役に就任いたしました。ブログにて色々な情報を発信させて頂きます。「自由人として愉しむ」を基本に生きています。多くの人たちと絡んでいきたいと考えていますのでどうぞよろしくお願いいたします。愉しい人と人のネットワークの構築と愉しいものづくりを目指します。

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