日本語から見えてきた、日本という国のかたち

今日は少し不思議な一日だった。

きっかけは、ある日本民族研究家の話だった。
井戸理恵子さんの言葉を、まるでBGMのように流しながら聞いていた。

不思議なことに、その声は「理解する」というよりも、
風の音や川のせせらぎのように、自然に耳に入ってきた。

言葉を聞いているはずなのに、
どこか“音”として受け取っていたように思う。

そこから、日本語について考え始めた。

「あいうえお」の母音、イントネーション、アクセント。
同じ言葉でも、言い方ひとつで意味が変わるこの言語。

日本語は、言葉そのものというよりも、
“音”や“間”で伝える言語なのではないか、と。

さらに思考は広がっていく。

日本人は、風の音や川のせせらぎ、虫の声を
「意味のあるもの」として感じ取る。

それは単なる音ではなく、
何かの変化や兆しとして受け取っている。

ではこれは、日本人だからなのか。

そう考えていくと、ひとつの答えに行き着いた。
恐らくそれは「日本人だから」ではなく、
「日本という環境の中で育ったから」なのだろう。

四季があり、自然の変化が激しく、
時には災害として牙をむくこの国で、
人は自然のわずかな変化を感じ取りながら生きてきた。

昔の人は、自然と会話していたのではないか。
そんなことを思ったが、正確には違うのかもしれない。

自然と“同期していた”のだろう。

風の変化、空気の重さ、静けさ。
言葉にならない情報を感じ取り、
それを自分の中で翻訳していた。

現代はどうだろう。

技術が進み、天気予報もあり、災害対策も整っている。
ある程度は自然に対抗できるようになった。

しかしその一方で、自然はより激しく、
猛威を振るっているようにも感じる。

これは自然の逆襲なのか。

そう考えたくもなるが、実際には
人間が自然のバランスに手を入れた結果、
その影響が“返ってきている”のかもしれない。

では、これからどう向き合うべきか。

最近、世界中で森を増やす活動や、
自然を再生させる取り組みが進んでいる。

日本の技術者や有識者が関わる場面も多い。

それは、日本がもともと
自然と折り合いをつけながら生きてきた国だからではないか。

壊さないのではなく、
壊したら戻そうとする。

そんな感覚が、文化として根付いている。

そして少し強引かもしれないが、
この流れの先に、来年の園芸博覧会があるのではないかと思う。

自然とどう向き合うのか。
技術とどう共存するのか。

その答えの一端でも、
あの場で感じることができたら――

それはとても意味のあることだと思う。

今日、日本語の話から始まって、
気がつけばここまで来ていた。

この年になって思う。

もう少し、日本のこと、
そして日本人のことを知っておきたい。

そんな一日だった。

kimamana-jiyujin-1957

創業50期目、横浜のIT企業ハル・エンジニアリング株式会社、代表取締役会長の平田達彦です。2026年年1月21日付けで、同業IT企業システム二コル株式会社の社外取締役に就任いたしました。ブログにて色々な情報を発信させて頂きます。「自由人として愉しむ」を基本に生きています。多くの人たちと絡んでいきたいと考えていますのでどうぞよろしくお願いいたします。愉しい人と人のネットワークの構築と愉しいものづくりを目指します。

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