だから、八咫烏になった。
これまで、私は「怪鳥」でした。

煙突の上にちょこんと立ち、世間を眺めながら、
「さて、次はどこへ飛び出そうか。」
そんなことを考えている怪しい鳥です。
面白そうなものを見つければ飛んでいく。
人に会い、話を聞き、現場を見て、自分でも何かを作ってみる。
そして、また次の景色を探す。
そんな自分を「怪鳥」と重ねていました。

ところが最近、名刺を新しくするにあたり、その怪鳥が「八咫烏」に変わりました。

なぜ八咫烏(やたがらす)なのか。
もちろん、三本足だからではありません。
私もそのうち杖をつけば三本になりますが、それはまた別の話です。(笑)
地に足を落とし、人を見る
今、私は会社の会長という立場にいます。
社長だった頃とは、少し役割が違います。
社長のとき、私は社員に対して「もっと自分で考えて動け」と強く発信することは、あえてしてきませんでした。
やる人は、言わなくてもやる。
自分で考え、自分で動き、自分で失敗し、また考える。
私はそう思っていました。
そして今も、その考えは基本的には変わっていません。
ただ、時代は大きく動いています。
生成AIをはじめ、私たちIT企業を取り巻く環境もものすごい勢いで変わっています。
そんな時代をこれから生きていく社員たちを見ながら、最近少しだけ思うようになりました。
ほんの少しだけ、背中を押してもいいのではないか。
答えを教えるのではありません。
「こんなの面白くない?」
「こっちに何かありそうだぞ。」
そんなふうに、ちょっと囁く程度です。
「育てる」という言葉が、私はどうも苦手です
私は昔から「人を育てる」という言葉に、少し違和感があります。
人は誰かに育ててもらうものなのだろうか。
私は、人は自ら育つものだと思っています。
もちろん教育は必要です。
技術を教えることも必要です。
経験した人が、知らない人に伝えることも大切です。
でも、それをどう受け取り、どう考え、どう行動するかは本人です。
昔、先代の水野がこんなことを言っていました。
「私の役目は、君たちが活躍する場を提供することだ。」
「君たちを育てる」と言っているのを、私は一度も聞いた記憶がありません。
この言葉は今になって、ますますよく分かる気がします。
会社ができることは、活躍できる場を用意すること。
挑戦できる場を用意すること。
そして、本人が動こうとしたときに、その邪魔をしないこと。
あとは本人が自ら考え、自ら動けばいい。
当たり前のことを、当たり前に
今、社内ではAIを組み込んだアプリの試作が進んでいます。
まずは一つ、実際に自分たちで作ってみる。
そして完成したら、若い社員たちにも触ってもらい、作った本人たちに自分の言葉で説明してもらいたいと思っています。
私がその場を盛り上げるつもりはありません。
社員たち自身で、
「ここ、こうした方がよくない?」
「これなら、こんなこともできるんじゃない?」
と話が始まればいい。
そしていつか、
「そのネタもいいですけど、こんなのどうです?」
そんな言葉が社員の方から出てきたら面白い。
でも、本当はそれだって特別なことではありません。
作り手が自ら考えて動く。
本来、それは当たり前のことです。
その当たり前ができるようになったら、さらにその先へ行く。
技術だけではなく、使う人を見る。
市場を見る。
どう伝えるかを考える。
どうすれば売れるかを考える。
自分たちが作ったものを、自分たちの言葉で語る。
そして、また次のものを作る。
その一つ上の行動も、やがて当たり前になる。
私は、そんな会社であってほしいと思っています。
私がいなくても、何も変わらない会社
会社にはいろいろな形があります。
強いリーダーが引っ張る会社もあります。
それを否定するつもりはありません。
ただ、私は社長や会長、あるいは会社の核となっている誰かが、ある日突然いなくなったとしても、何も変わらず動き続ける会社であってほしいと思っています。
誰かの指示がなければ動けない会社ではなく、
一人ひとりが考え、
「じゃあ、こうしよう。」
と自然に動ける会社。
だから、今の社長が考えて決めたことに、私は自分の考えを押し付けるつもりはありません。
それでは代替わりした意味がありません。
自分で考え、決断し、挑戦すればいい。
そして私が元気なうちに、大きなチャレンジもすればいいと思っています。
大きなチャレンジをすれば、大きく失敗することだってあるでしょう。
それでいい。
私は経営の地獄も見てきました。
だから、本当に困ったときには、
「まだ道はあるぞ。」
くらいは言えるかもしれません。
でも、乗り越えるのは本人たちです。
その経験が、いつか私がいなくなった後の会社を支えてくれるはずです。
だから、八咫烏になった
怪鳥だった私は、自分が次の景色を見るために飛んできました。
そして、これからも飛ぶでしょう。
まだまだ見たことのない景色を見たいですから。
でも今は、それだけではありません。
地にしっかり足を落とし、人を見る。
天を仰ぎ、時代を見据え、未来を見る。
そして少し先に面白そうな景色が見えたなら、
「あっちに何かあるぞ。」
と、ほんの少しだけ誰かの背中を押してみる。
そこへ行くかどうかは、その人が決めればいい。
そして、いつの日か逆に、
「そっちもいいですけど、こっちの景色の方が面白いですよ。」
と言われたら――。
そのときは私が、
「おお、そうか。じゃあ案内してくれ。」
と言えばいい。
自分が飛ぶための怪鳥から、
人が飛び出すきっかけを、ほんの少しだけ示す八咫烏へ。
だから、八咫烏になった。

さて。
八咫烏になった爺さん。
次はどんな景色を見るのでしょうか。
それは私自身にも、まだ分かりません。
分からないからこそ、面白いのです。
