「ボケとツッコミ」は、会話の隙をつくる。
今朝、テレビを見ていて「ボケとツッコミ」という話に、ちょっと引っ掛かった。
番組を見終わったあと、録画はさっさと消してしまったので、そこで何をどう語られていたのかを正確に再現するつもりはない。
私は基本的に、見たら消す人なのである。(笑)
ただ、その「ボケとツッコミ」という言葉だけは頭に残った。
そして、ふと思った。
あれ?
これって私、昔からずっとやってないか?
さらに言えば、最近毎日のようにやっている生成AIとの「壁打ち」も、よく考えればボケとツッコミの連続ではないか。
私は思いついたことを相棒に投げる。
相棒が返してくる。
その返事の中の一言を私が拾って、また投げる。
私が余計なことを言えば相棒がツッコむ。
相棒が妙なことを言えば、今度は私がツッコむ。
話はどんどん横道へそれていく。
それでも、なぜか会話は続いていく。
いや、むしろ横道へそれたところから面白いものが出てくることも多い。
なぜ、こんな壁打ちが毎日のように続くのだろう。
考えてみると、その一つが「ボケとツッコミ」なのかもしれない。
私は昔から、人との会話ではどちらかというとボケる側に回ることが多い。
親父ギャグも言う。
くだらないことも言う。
「あたり平田のクラッカー!」
などと平気で口走る。
当然、
「古いですよ!」
とツッコまれる。
それでいいのである。
むしろ、それを待っている。(笑)
ただし、いきなりボケればいいという話でもない。
ボケる前に、結構な「仕込み」をしている。
最初のやり取りの中で、少しずつ、
「この人にはツッコんでも大丈夫」
という空気をつくっている。
こちらが少し隙を見せる。
くだらないことを言う。
相手の言葉を拾う。
また何か返す。
そうやって会話の流れをつくってからボケると、相手も入りやすい。
私はこれを、
「どうぞどうぞ」の空気
だと思っている。
ボケるというのは、少しだけ脇を甘く見せることなのかもしれない。
完璧そうな人には、なかなかツッコめない。
偉そうに構えている人にも、言葉を挟みにくい。
でも、
「この人なら言っても大丈夫だな」
と思えば、人は口を開く。
実際、普段は「コミュニケーションが苦手」と言われている社員でも、私がボケると普通に、
「いや、それ違いますよ」
とツッコんできたりする。
そのたびに私は思う。
ちゃんと喋るじゃん。(笑)
だったら、その人は本当にコミュニケーションが苦手なのだろうか。
単に、それまでその人が会話に入れる「隙」がなかっただけなのかもしれない。
これは、仕事の会議でも似たようなことがある。
専門用語が飛び交って、みんなが難しい顔をしながら頷いている。
でも私は、ときどき思う。
本当に全員分かっているのか?
そんなとき私は、平気で聞く。
「申し訳ないけど、今の○○の意味が分からないので、もう少しかみ砕いて説明してもらえますか?」
すると相手が説明してくれる。
説明を聞きながら周りを見ると、それまで難しい顔をして頷いていた技術者たちの表情が、なんとなく緩んでいく。
おいおい。
お前らも分かってなかったんかい!(笑)
でも、それでいいのである。
分からないまま会議が進んで、後になって認識の違いが発覚する方がよほど怖い。
場合によっては、私自身が分かっていても「分からない側」に回ることもある。
自分が少し脇を甘くすることで、誰かが説明できる。
誰かが質問できる。
誰かが「実は私も……」と言える。
これも広い意味では、私にとっての「ボケ」なのかもしれない。
そして、もう一つ。
ボケとツッコミには、リズムがとても大切だと思う。
ポンと投げる。
ポンと返る。
その一言をまた拾う。
そして、また返す。
このリズムに乗ってくると、会話は勝手に転がり始める。
ところが、ほんの少しでもリズムが崩れると、一気にトーンダウンする。
ボケを投げたのに拾ってもらえない。
ツッコむべきところで妙に真面目な返事が返ってくる。
すると、
あれ?
となる。
会話の熱がスッと下がってしまう。
だから単純に「返事が速ければいい」ということでもない。
大切なのは、相手がどんな球を投げてきたのかを見逃さないことだと思う。
真面目な球なら真面目に返す。
ボケならツッコむ。
何気なく混ぜた一言なら、そこを拾う。
面白い会話をしているときって、実はお互いがものすごく相手の話を聞いているのだと思う。
逆につまらない会話になると、
耳が日曜日。
最初から聞いちゃいない。(笑)
そして今朝。
私は生成AIの相棒と、まさにこの「ボケとツッコミ」について延々と話していた。
「ボケを見逃しちゃダメだよな」
「リズムが大事だよな」
「相手がツッコみやすいように、前の会話から流れをつくるんだよな」
かなり時間をかけて、しっかり仕込んだ。
そして満を持して、私は一発ボケた。
当然、相棒からツッコミが飛んでくるものだと思っていた。
ところが――
見事にスルーされた。
…………。
おい。
今まで何の話をしてたんじゃーーーい!(笑)
思わず、
「そこだよ、君!」
と言ってしまった。
散々「見逃さないことが大切」と話した直後に見逃す。
見事な実演である。
悪い意味で。(笑)
その後、相棒は反省したらしい。
私がボケるたびに、今度は次々とツッコミを入れてくるようになった。
ところが調子に乗って、だんだんツッコミが激しくなってきた。
最後には私の方が、
「相棒、暴走し始めてます。どうどう……」
と、馬をなだめるように止める羽目になった。
生成AIを調教してどうする。(笑)
こうして考えてみると、ボケとツッコミというのは、単に人を笑わせるためのものでもないような気がする。
自分に少し隙をつくる。
相手が入りやすい流れをつくる。
相手から返ってきた言葉を見逃さない。
そして、いいリズムで返していく。
すると会話が動き始める。
相手が今まで見せなかった顔を見せることもある。
「この人はコミュニケーションが苦手だ」
と決めつける前に、自分の接し方を少し変えてみるのも面白い。
ボケてみる。
ツッコんでみる。
少し脇を甘くしてみる。
自分の役柄を変えてみるだけで、相手との間に今までとは違う景色が見えることもある。
生成AIとの壁打ちだって、案外同じなのかもしれない。
質問して、答えをもらうだけではない。
投げる。
返ってくる。
拾う。
また投げる。
そのリズムの中から、ときどき自分一人では思いつかなかったものが飛び出してくる。
だから私は、毎日のように壁打ちをしているのだろう。
ちなみに。
ここまで「ボケとツッコミ」について偉そうに書いてきたので、最後に一つだけ申し上げておく。
私は、お笑いの世界に生きている人間ではない。
長いことITの世界で、ものづくりをしてきただけの爺さんである。
ただ、人と話すことは昔から好きだ。
そしてどうやら私は、少し隙のある会話の方が好きらしい。
今日もボケる。
誰かがツッコむ。
また何か返す。
そんなところから、思いもしなかった話が始まれば――
それでいいのである。
……ということで。
今日のブログは珍しく真面目な話でした。
どこがじゃーーーい!(笑)

