放牧型クリエイターの朝は、だいたい脱線する。
午前8時53分。
雑用をすべて片付け、コーヒーを啜りながら「さて、今日はどうするか」と考える。
普通の人ならここで、
「よし、仕事するか」
となるのだろう。
しかし、放牧型クリエイターは違う。
「あそぼーっ!」
である。
業者待ちの朝は、だいたい危険
今日はCATVのSTB交換の日。
「来る前に電話しますね〜」
と言われているため、こちらは自由。
……この“自由時間”が危ない。
なぜなら放牧型クリエイターは、自由を与えるとだいたい暴走する。
・3Dプリンタの修正案が降ってくる
・AIと新しい遊びを始める
・未来の会社について考え始める
・ついでにブログを書き始める
など、予定外の“未来の種”が勝手に芽を出す。
そして業者が到着する頃には、別世界へ旅立っていることも珍しくない。
今日の対話は、完全に放牧だった
今日の会話は、まさに放牧。
AIの話から始まり、
評価制度、ストレス社会、残業、未来の会社、遊び心、そしてダジャレへと飛び火していく。
一本道ではない。
火があちこちへ飛び移るように、話題が広がっていく。
もはやジャンルの概念がない。
しかし不思議なことに、最後はちゃんと温かい場所へ戻ってくる。
今日見えていた灯は、これだった。
「人が人らしく生きられる場を作りたい。」
飛び火しながらも、芯は優しい。
放牧しながらも、根っこは温かい。
AIは脅威ではない
最近の世の中は、AIを煽りすぎだと思う。
「仕事が奪われる」
「人間不要になる」
「AIに支配される」
そんな話ばかり。
でも実際に触っていると、私の感覚はまるで違う。
AIは脅威ではない。
楽をするためだけの道具でもない。
人が人らしくあるために、一緒に歩む相棒だ。
AIに定型作業や整理を任せる。
その代わり人間は、
・創る
・遊ぶ
・面白がる
・判断する
・種を撒く
そんな“人間らしい部分”へ戻っていけばいい。
人間は、入り口と出口をしっかり行う。
真ん中をAIが支える。
私はそんな未来のほうが面白いと思っている。
人間を単純な数値や型で扱いすぎるな
評価制度の話も出た。
しかし私は昔から、
「人間を完全に公平に評価することなどできない」
と思っている。
環境も違う。
相性も違う。
得意不得意も違う。
なのに、数字や型だけで人を見始めると、人はどんどん苦しくなる。
ストレスチェックもそう。
もちろん必要な側面はある。
でも私は時々こう思う。
「そんなに人が壊れる世の中そのものを、見直したほうが早いんじゃないか?」
と。
放牧とは、“好き勝手”ではない。
人が人として呼吸しやすい環境を作ることだ。
「基本そうです。」に全部が詰まっていた
最後に私はこう言った。
「基本そうです。」
この一言の中に、自分の考え方が全部入っている気がする。
完成より継続
管理より放牧
強制より自主性
不安より遊び心
支配より共創
そして最後はやっぱり、
「あそぼーっ!」
で動き出す。
未完成のまま走り続ける
私のものづくりは、完成を目指していないのかもしれない。
むしろ、
“未完成のまま走り続ける”
ことを前提にしている。
だから次々と灯が生まれる。
雑用を終えた静かな朝。
コーヒーを飲みながら、放牧しながら未来を考える。
すると今日もまた、あちこちに小さな灯が飛び火していく。
——「あそぼーっ!」
未来は、案外そこから始まるのかもしれない。
