本日は創業者 水野和彦の著書について少々語ってみます。

今現在私の手元に2冊の本があります。弊社創業者 水野和彦が書いた本です。文芸社から出版されたものです。ごく最近までこの本に全く興味を示さなかったのですが、会長となった私自身に少々時間が出来て、ふと会社の書庫を眺めていたら”むむむ・・自由人?私が良く使うフレーズが・・。水野さん、私の心の中をパクった?”なんて独り言を呟きながら手に取って読み始めた。
著者:井野 仙水(いの せんすい)。
そういえば水野さんが亡くなった後、ある日たまたま、そう何気なく会社の書庫を見て、この本のタイトルが目に留まり著者名を声に出して読んだんだったな。”いの せんすい・・、いのせんすい、いのせんすい・・・、なんじゃ???変な名前!”
それからしばらく口ずさみ”いのせんすい・・ああ、イノセンスだな・・”そう思った。2代目社長だった神尾 和夫に”あの著者の井野仙水ってイノセンスを意味してるって事ですよね?”と尋ねたら”恐らくそうだろう”という答えだった。
イノセンスって意味は・・。純粋な。無邪気な。天真爛漫な。ということだよな・・。水野和彦が純粋で無邪気で、天真爛漫な人だったか?(私は静かに首を横に振る・・。I don’t think so.)
今回はこの本のタイトルにもある自然派自由人の「心で生きる方法」、この『自然派』『自由人』『心で生きる方法』というフレーズを少々探ってみたいと思った次第です。
本の中身を勝手にブログで晒すと著作権侵害になっちゃうので”水野さん、ちょいとだけ書かせてくださいね”と久保山墓地に向かって手を合わせ了解を取った(?)のだ。
さて、一般論で
『自然派とは』自然の摂理や流れを尊重し、人工的・強制的なものを避ける生き方。とある。つまり「自分に無理をしない」「自分の内側の声に耳を傾ける」「環境や他社と調和して生きる」といった姿勢だと。
『自由人とは』社会や他者の常識・期待に縛られず、自分の価値観と意思で生きる人のこと。
『心で生きる方法とは』理屈や打算ではなく「心」=感性・本音・直感・良心に従って生きるということ。それが大切ということか。
我が親友の茶藤児比輝は、『自然派自由時の心で生きる方法』を、「自然に根ざした価値観と、自分らしい自由な心を持ち、外圧的な形式にとらわれず、本来の自分として調和的に生きる方法」じゃねえ?と言った。
”なるほどね・・、外圧的な形式・・、硬い表現だね、、他人の作った形式、くらいでいいかな・・”
そういえばこの本の前書きの部分にこう書かれている。
『大勢の人が見ているものは見なくていい。
人が殺到している所へは行きたくない。
誰もが考えていることは考える必要がない。
みんなが大好きなビールは、・・・・・これは飲む。』
「人が見ているから・・」「流行っているから・・」「みんなが考えているから・・」これら外部の価値基準に流されない、自分の判断軸で物事を選ぶ姿勢が自由人としての側面。流行や群集心理に「反対」すのではなく「迎合しない」。そして最後のビールのオチは、自分が本当に好きならば、(ここが大事)本当に好きならば人と同じでもかまわない、ということ。つまり自然体である自由を表していて、正しく自然派の部分。
私も共感できる内容なので「自由人」改め「自然派自由人」を名乗ろうかしら。
さてさてではでは締めとして、この著書の締めの一文のご紹介。
「右翼でも左翼でもない、翼を持たない、ただの自由思考人間の自然な思いである」と書き記して終わっている。
”翼持たないのか~~っ!最近私は、怪鳥(会長)になって、より怪しく飛び回るよ!”と言い触れている。”翼が無いと飛び回れないしな~~っ!^^;”
まあ冗談はさておき、水野が締めで言いたかったこととは。
右翼や左翼のように翼って文字を持ってしまうと、イデオロギーってものに振り回されたり巻き込まれたりする。だからそうならないように、あえて翼を持たず、思想や立場、政治や派閥に左右されず、自分の心と理性に忠実に、自分の両足で地に立って生きていくということでしょう。強い意志表明に聞こえます。
平田は?怪鳥として、大きな翼を広げ、怪しい鳥になり飛び回ります。<m(__)m>